普茶の話

精進料理を大別すると黄檗精進料理、大徳寺精進料理、高野山精進料理、永平寺精進料理と四派に分ける事が出来ます。
白雲庵は、その一派を代表し伝統を誇る老舗です。

普茶の話

普茶料理は、今から約三百数十年前江戸時代の初期(1661年寛文元年)中国明の高僧隠元禅師により黄檗宗共々渡来しました明風の精進料理です。
京料理の大半は寺院の影響をうけた寺院料理を基調としたものが、多く中でも中国風の名残りを留めた精進料理は黄檗系統の普茶(黄檗)料理のみです。

名称の起りは普く衆に茶を供するの意と、赴茶(茶を赴く)の意味とがあり、何れにしても禅門の茶礼(儀式法要など行事が終わった後全山の者が一堂に会し茶を喫しながら意見交換協議)の後労を犒う為めに作法にしたがって出される謝茶(僧堂の御馳走)が普茶で、万福寺門前の白雲庵はその食礼様式を正確に踏襲し簡易素朴な禅味として長方形朱色の飯台に長幼の別なく一座に四人が会して大器にもられた菜をお互いに自由に取って戴く形式になっております。

菜は本来の風味を生かす為に淡白な味を本位に色彩の取り合せ素朴さの中にも豪華に其の献立は二汁六菜を中心と致しております。

白雲庵の歴史

白雲庵は、もと万福寺の塔頭として自悦禅師により創建された建物です。
その敷地には自悦禅師をお奉りした酒樽の御堂、緑豊かな庭園、しだれ桜等情緒を添えます。
庭の奥には、お茶室、茅葺きの母屋、本館と続きます。
日本風ながら万福寺にならった卍崩しの欄干がございます。
また、創業者の林春隆は料理研究家でもあり文人墨客と交わり今でも白雲庵に与謝野晶子、島崎藤村など書簡が残ってございます。